おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。
クリスマスの週末あたりを、年の瀬と誰がよんだのだろう。瀬戸際という言葉、瀬戸内海、何かしら狭そうな場所で、押し迫った感じ。さて、2017年のメルマガも最終回です。
その年の瀬に実家にいると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。
「こんにちは、研ぎ屋です」
と、70代半ばくらいの笑顔のおっちゃんがやってきた。
「おふくろ外出してるんですよ」
と伝えると、
「いつも年末来てるんよ、また来ます」
と、ちょいと帽子をあげながら、にこっと笑って、一秒ほどの好印象を確かに残して、足早に去っていった。
家に帰ってきたおふくろに、
「包丁の研ぎ屋さんが来たよ」と告げると、
「あのオジサン毎年来るのよね」とおふくろが言う。
「いくらなの?研ぎ賃て」と僕は下世話なことをきく。
「300円よ」と、おふくろがニッコリ答えて熱いお茶をすする。
「安っ!年末ボランティア的にやっているのかな?」
「ちゃんとお小遣い稼ぎなのよ、もう10年くらい来てるんよ、毎年の年末の風物詩みたいなもの」とおふくろが、当確印をつけて応える。
「お小遣いかせぎってなんでわかるの?」
「野菜をいつも売りに来るK西のお祖母ちゃんいるじゃない。春になるといつも食卓にのる、春キャベツが美味しい、あのおばあちゃんよ、覚えてる?」
「えっ、もう90歳過ぎてるでしょう、まだ売りにくるの」
「旦那さんが亡くなって野菜つくらなくなったのよ、だからK西さんもう行商をやめるのかなって思ってたら、初夏には庭のイチジクをもいで、秋には庭の柿をつんで売りに来るのよね。100円とかそういう値段なんだけどね。その100円で缶コーヒー飲んだらうまいんだって・・・」
うーーーん。どこかしら奇妙だが、面白い!昭和の風景だ。
もう40年近く野菜を売りに来てるらしい「なんとたくましい」ではないですか。そして、おふくろも買わなくてもいい野菜をそれは何十回も買っていたものです。まさか、庭のイチジクまで食べることになるとはね・・(笑)
富山の薬売りの人も40年くらい春、秋と来ていたのですが、いつもうちの玄関で自前のお弁当を食べるんですよね。もうそろそろ、薬売りのおじちゃんが来るねと母もいつも美味しいお茶を用意してたものです。いつのまにか、そんな温かい関係ができてしまうのがおふくろです。
ひと言で言えばおふくろは「鷹揚(おうよう)」なんですよね。ゆったりとして、せこせこしない、ちょいと上品に楽しんでいる。たぶん、野菜を買わなかったことはなかったと思います。(笑)
人生は無駄づかいや、無駄なお付合いであふれている。いや、ほとんどが無駄なことで、できちょる。全ては出会いの中にある。
小学校四年生の時に父親がなくなり、母は高校卒業まで家の家事をやっていた。おふくろの兄貴は、結婚するまで文句ひとつ言わず、畑仕事を手伝って。高校をでて農家を継承した。僕はそのおじちゃんが怒ったのを一度も見たことがない。奥さんも見たことがないそうだ。
誰が教えたわけでもなく、人が困っているときに、自分の一杯のミルクを差し出すような美しさを持てたらなと思う。そういう大切なことは、家庭の中でしか身につかないんだろうね、自然と身につけるのは家族の才能だと思う。
2017年お疲れ様でした。
来年は1月中旬から、再びメルマガスタートです
皆様、よいお年を・・・(^O^)
今日はこんなところです。
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