モナリザ、レオナルドダビンチの代表作であり世界で一番有名な絵画「モナリザ」。

仕事で偶然であった女性、たぶんアラサーさん。

たぶんもう会うこともない通信会社の受付のモナリザ女性、不思議な時間だった。

髪型がモナリザに真似ているからなのか、眉毛が薄いからなのか、ほほえみも2滴、3滴。奇妙な時間だった。わざとにモナリザを意識しているわけではないだろうに・・。

どこかしら、僕の煩悩の愚かささえお見通しのような、そんなすこし冷たそうな背を張った感じが、妙に僕に新鮮にせまってきたのだった。

この女っぷりはなんなんだ。すずやかさはなんなんだ。(笑)

それを観察している俺は何者なのだ?

昨年男のモナリザ「サルバトール・ムンディ」(ダビンチ作)が約510億円で落札された。(Salvator Mundi 世界の救世主の意)落札者はアラブの王子らしい。

”「サルバトール・ムンディ」は、1763年に競売にかけられた後、長い間所在が分からなくなっていた。1958年にロンドンで行われた競売で、米国の収集家が45ポンド(約6600円)で買い取った
が、その時は贋作(がんさく)と考えられていた。2005年に再び売りに出され、新しい所有者が約6年にわたる鑑定を行った結果、本物であることが分かった。”

いつかお目にかかるチャンスはあるのだろうか?それにしても「サバトール・ムンディ」も、謎めいた絵だ。みたい、謎めくことに開眼したい!(^^)

作家の塩野七生さんが、レオナルド・ダ・ヴィンチは「なぜ」で生き通した人だと書いていた。人生に埋め込まれた暗号を解く出発点は、「なぜ」

思うに、ヨーロッパではお昼でも、夕方でもともかく食事時間が長い。人と人の真ん中にワインと頭の回転をよくするチーズがあるからなのだろう(笑)。ともかく、ヨーロッパ人は会話が大好き。海を渡る商人は話題にことかかず、様々な話題を提供し、哲学者は質問から着想を見つけたりする。そういう知的生活が今でもある。

話は再びダビンチ。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」にはたくさんの「謎が」「なぜ」が埋め込まれているらしい。ダビンチはユダヤ人でユダヤの言葉、ヘブライ語は数字に変換できるので、色や形などにもメッセージがあるという説もあるそうだ。ダビンチは「数学者しか自分の作品は理解出来ない」と、本当かどうか知らないけどいってたそうで、たぶん誰かがこじつけたんだろうと、僕は疑ってしまうけどね。

さてさて、またしても新しい週となった。

サスペンスやミステリードラマには謎がなくてはならない。男女の色恋はウソと誠でできている。

どちらも、はじめは手の内を見せないのが常套手段で、そこが楽しいわけだ。しかし、「謎」は芸術や人生のドラマの舞台だけでお願いしたいもの。

隠ぺい、知らぬ存ぜぬ。嘘つきました。後だしジャンケン。

国会の場では困りますよね。

小説の世界でプロとして飯を食っていける人間と、そうでない人間との違いはなんでしょう?

日常にてんこ盛りの「些細なことを馬鹿にするか、真剣に考えるか」

東野圭吾先生の語録です。

初夏の幕開けですね。ファイト!

徒然なるままに・・