オリンピックの女性の闘いは、100人組み手のように、百花繚乱を奏で、毎晩寝不足でありました。やっと人間に戻れそうです。

 

 さて先日夜の宴会で、「自分らしく、ありのままでいい」という言葉を使うX氏に、うーんそれは「気持ち悪い」と苦言を申したら、素直ではないといわれた。

 

 どうも言葉が先行し、補足が足りてない。

 

「自分らしく」というのはなんでしょうか?妥協の産物ではないのか、「ありのまま」でいいんなら、現状維持ではないのかと、オレは毒づいたのだ。

 

 「自分らしく、ありのままでいい」というのは、どこかの社長が社員の成長を止めるための呪文にしかオレには聞こえない。大人の優しさというのは、ずるさとセットで成長してきた歴史を教えるべきなんだよ・・・そろそろね。

 

 「オーガニックの野菜だから旨いね」という。オレにはこのオーガニックの野菜は、育成に失敗しているようで、パンチが足りてない。「脂がのっていて刺身が旨い」と言うけど、養殖で餌の食べ過ぎと、運動不足で脂がついているように思える。あまのじゃくで考えていると、少しは真実に近づける気がして、そうしている節もあるにはある、けどね。(笑)

 

 人は思い込みというものに、あまりにも左右されているような気がしてならない。シェフのこだわりハンバーグ、熟成カレー、名前が先行しすぎている。そんなことより、1日100食売り切れとでも書いてくれていた方が、わかりやすい。「こくがあって、あっさり」とか、説明が足りなさすぎて、頼りない。「クセがなくて、旨い」とか、あるんですか?(笑)

 

 何でこんなことを書いているかというと、

 LINEなどのSNSでコメントや、感想を書くときに、人は言葉が足りてないことに気がついてないんですよね。

 

これからは、コメント、感想は人間関係を築づくときに、最初の第一印象のようなものだから、あと1歩踏み込んでもらいたいんです。

 

言葉って、ヒリヒリする毎日を変えてくれる、今ある武器であり、お守りなのだとおもいます。

先日、ハガキの書き方研修をやったのですが、ちょっとした枠線とか、手書きとかで得られるモノがあるんですよね。

それは、ざわめきだと思うんです。

 

誕生日に1枚のハガキをおくる。誰でも、その効果は知っている。
中小企業はその地域で、必要とされる企業になること。