同行二人、お遍路は約1,460kmの果てしない旅。それをバスツアーで行こうと思ったのは、親父の体調がすぐれずいつ果てるかもしれない生の病気平癒のためだった。そして心の中では親父に「人生を生ききってほしい」と願い、胸だけは気持ち張りながら僕のお遍路旅は始まった。
残念ながらお遍路の僕の願いは叶わなかった。親父は生涯の愛称”ヨリサン”の4月3日になくなった。それは単なる偶然とは呼べないものだった。その偶然に背中を押されながら、夏のラムネ色の空は心を穏やかにしてくれたが、突如現われる夏雲のいかついた感じは裏寂しい気持ちをかき立てた。
お遍路をまわりながら、なにか僕は天から語りかけられるのだろうか?
そんなことに思いをはせてはみたけれど、いっこうに未来に向かっても、過去に向かっても、何一つ語りかけては来なかった。ただ、ただ無言だった。
歩き遍路の人の中には、独りで、孤独の皮膚を纏い、根絶やしできないような煩悩と向かい合っている人もいた。思い人のことを、ただただ遠い記憶の中に求めるように、時間を駆け上りながら、ライムトラベルをしている人もいた。彼らは突如、映画のワンシーンのようにあらわれた。彼らは浮かんでは、沈んでいく悲しみの果てに、なにかに出会えているのだろうか。
土佐の久しぶりの太平洋の海は母のごとく静けさを抱き、その凪のように札所はひっそり閑として清空間だった。阿波のお遍路で廻る札所のお寺は、余計なモノをさらすことがない静けさの沈黙が漂っていた。讃岐はどっちに転がるのかわからない人生そのもののように思えた。そして、最後の愛媛で何か僕は切実なモノを手にできるのだろうか?
さあ、いよいよ残り2回のお遍路旅
11月19日(土)
60横峰寺・59国分寺・58仙遊寺・57栄福寺・56泰山寺・55南光坊・54延命寺
12月10日(土)
53円明寺・52太山寺・51石手寺・50繁多寺・49浄土寺・48西林寺・47八坂寺・46浄
瑠璃寺
ただ、ただ無言のお遍路の風景。放心の果てのお遍路の景色。
それらが、脳細胞のほうぼうに美しい色彩のように残っているのはなぜだろう。何度目をそらそうとしても、わだかまっているんだ。
そういう意味で、お遍路は輝きを光の微光の束のように放つ、ディズニーランドだと思う。
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