おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

昭和のスーパースターといえば、長嶋茂雄さんと高倉健さん。

高倉健さんがなくなり「鉄道員」「駅」「幸福の黄色いハンカチ」と映画をむさぼるように観ている。高倉健さんの魂。この世にその残り香を確認するように。

映画を観ながらいつも思うのは、「真似できない」と感じること。到底無理。自分に応用できるなんて保障なんて全くない。でも一つだけいいことがある、その考え方や、思考、そして何よりその考えや感情を言葉でなく行為で見せるところ。

それは、こんな感じ・・・。

「幸福の黄色いハンカチ」で健さんが刑務所を出てビールを飲むシーン。駅前のラーメン屋。「ビールください。」店員に注がれたサッポロビール。グラスを握る左手が少しためらい、少しコップを回転させ何かを0.5秒で確認し。コップを両手で大事に包み込むように持つ。そして染み入るように一気に注ぎこむ。そして、一呼吸何かをもう一度飲み込み噛みしめる。吹き出された、小さな「は~っ」がシャバに出た実感をつたえる。

「幸福の黄色いハンカチ」高倉健さんが出所して初めて飲むビールのシーン

 

この映画には、このワンシーンがなくてはならない。さあ、これからどうなるんだろうと思わせる・・。その重みのあるシーンをかくまで演じきる健さんはすごい。
ウィキペディアを読んでいたら

1テイクで山田洋次監督からOKが出た。あまりにも見事だったので、山田が問い尋ねると「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。

高倉健さんは、インタビューもほとんど受けず、テレビにも出演しない。映画俳優は普段の生活を見せてはいけないのだと思う。
人間には他者に見られたい「自分」というものが少なからず登場する。しかし、本来の「自分」とのギャップは、人が悩むテーマである。他者は「自分を」存在以上に大きく評価するだろうが、「自分」はそのギャップを誤魔化したりする。年をとると、誤魔化しがきかない。(笑)
人は群れをなす。自分一人が楽しくなってもダメ、その楽しさを誰かに知ってほしい。人が泣いていると、自分も泣きたくなる。誰かとの関係性の中で、他者との関わりの中で小学校から育っている。

ネット時代になりFACEBOOKで、自分のリア充を発信する行為を否定するわけではない。発信することによって、ドライブ感や勢いが生まれてくる。ただ、あれを見過ぎるとダメだと最近思う。(笑)ネット空間から得るものが最近多すぎて、自分の変化や成長に鈍感になってしまう。
高倉健さんの映画を観ながら、すこし「現実の自分」に帰化しているのではないか、そんな気がする。
映画ってすばらしい。
今日はこんなところです。