おはようございます、”生涯青春”クレスト渡部です。

先週はワールドカップウィーク。「毎日がスペシャル」

 

オランダのスピードスター”ロッペン”のストライカー魂に、興奮。朝飯を食べに行ったすき家で、思わず「まぜのっけごはん朝食(並・280円税別)」を興奮とともにかけこむ日曜の朝がありました。

 

オランダ VS コスタリカ (オランダPK戦で勝利)

世界幸福度指数1位のコスタリカ(日本は75位)は、強豪オランダに知力を絞った戦いでのぞみ、神ゴールキーパー ナマスの神セーブ連発で0-0から、延長へ誰もがこのままのPK戦なら、圧倒的に試合を支配したオランダよりコスタリカに勝利の女神が微笑むかもしれないと思っていただろう。

 

その予定調和を見事に崩したのがファンファール監督の采配。
オランダとしてはPK戦いに入ると不利と察したのか、いやPKも折込済みだったか選手交代の最後の1枚のカードをGK交代という、したためた策にでた。

 

勝負師というのは、最後の最後に局面を変えることができる人なんだと、ため息をつきながら、ボクはスタバのコーヒ豆をミルで砕きながらPK戦を眺めていた。こういう時はめちゃ美味しい、ビターテーストができる(笑)

 

そして、ふと1996年夏の甲子園決勝戦。松山商業の奇跡のバックホームを思い出

した。9回裏2死無走者から同点ソロ本塁打を叩きこまれ3-3。延長10回ウラ、

先頭打者が出てノーアウト2塁、松山商業の澤田監督はここまで好投の新田投手をラ

イトへライトの背番号1エース渡部と入れ替えた。

 

送りバンドで1死三塁。監督は満塁策をとる。ピッチャーがセットポジションに入ろうとしたその瞬間を狙っていたように監督はタイムをとり、もう一度仕切りなおさせた。ライト新田に変え、本来ライトレギュラーの矢野を送りこんだ。

 

監督は最後の最後のカードにタイミングという魔法までも添えた。

 

そして次の初球、初球、高めのストレート。熊本工業本多選手が放った打球はライトの定位置よりやや深めに舞い上がった。距離はたっぷり。タッチアップで3塁ランナーの生還を予測し・・「さよなら負け」を連想した。矢野外野手は2,3歩前に出ながら・・このボールをキャッチしキャッチャー石丸のミットをめがけて・・ダイレクトに投げ返した。大きな、そしてかなり山なりの弧を描きながら・・(万事休すと思われた・さよなら負けを覚悟した。)・・しかし、その魂のボールは寸分の狂いもなく石丸のミットにすいこまれた・・。「アウト!!!!!!」

 

※翌日の報知新聞が足がホームベースに届いてない状態でタッチプレーが行われていたのを1面に出していたのを鮮明に思い出す。

 

松山の人なら誰でも涙を流した伝説の光景だ。

 

百戦錬磨の澤田監督に鍛えられた松商ナインは同点ソロ本塁打を打たれた時も、お決まりの「3塁を踏んでない」とアピールプレーを行った。ピッチャー交代を行った新田のグラブをそのまま交代の渡部がはめた。毎日の松商の練習の終わりは、各ポジションへのノックで終わる、そしてその練習の終わりを告げるノックの最後はいつもライトの矢野選手のバックホームだった。(ここでうまく行かず、もう一度最初から繰り返されることが多かったそうだ。)そして、バックネット裏にはパイプ椅子に座る老練のOB達が見つめている。これが伝統校の姿なのだ

 

 

1996年夏の甲子園で優勝した日、ボクは営業でラジオを聴いていた。松山の午後の街は静まり、人の気配がなかった。

 

あの静けさを僕は忘れない。

 

「カキーン」

 

夏の訪れをつげる、球児の夏の予選がはじまる・・・。

 

勝負は下駄を履くまでわからない(下駄買わなきゃだめだ(笑))

 

今日はこんなところです。
生涯青春 渡部雅泰