Comment allez vous?(コマン タレ ヴー)
今日のフランスの話はナポレオンがらみです。
幕末の人たちは、ナポレオンの伝記を読んでいた。
自由と平等を求めたフランス革命。貧困の国内。反対勢力の隣国に囲まれ戦い、皇帝への階段をのぼるナポレオン。
パリを訪れると必ず行くのが、ルーブル美術館。ルーブル美術館に行けば『皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠』(縦6.12m×横9.79m)の等身大の絵は圧巻です。見せつけるような、宣伝色も満載な絵でございます。(笑)一枚の絵は英雄を世に残します。
※個人的にはハムラビ法典も好きです。(目には目を、歯にはデンターライオンの教え)
そのナポレオンが意のままにできなかったのが妻ジョゼフィーヌ。
「不倫は文化だ。」とのI氏の有名な言葉がありましたが、17世紀から18世紀宮廷では、恋愛は日常茶飯事。既婚の貴婦人は地方の領地にでかけたり、戦争に出た夫がいない間に夫以外の貴族男性と『逢瀬』を重ねるのです。キリスト教徒の貞操感はどこへやら、騎士は純粋不倫をすることで精神を磨き、時にはその恋に命をかける。ブルジョワの夫人がパトロンになって、芸術家を育てたりしていた。
ジョゼフィーヌも貴族出身。お家のための結婚(子供2人)はしたが、夫には結婚前から愛人と子供。その後夫は処刑され未亡人へ。貴族用修道院にはいると、そこは貴族の貴婦人があつまる優美な場所で社交術というものを身につける。身につけた誘惑術があったのだろうか再び愛人となる浮気症の女。あるときに軍が息子の剣をとりあげた。親の形見の剣なので返してほしいと訪ねた先がナポレオン。その縁から数奇な運命で結婚する。
「後朝の文」という漢字を読める方はいますか?
これは「きぬぎぬのふみ」と読むらしいのですが、平安時代に逢瀬の明けた朝、男性が女性に贈る手紙。朝になるとそれぞれの衣をつけて別れることから来ているそうです。※最近源氏物語を読んでますので(笑)
ナポレオンは数多くのラブレターをジョゼフィーヌに送るのです。
「わが愛しき人よ、千回のキスを受けてくれ。けれども、僕にはキスをよこさないでくれ。それは僕の血を燃え上がらせるから。」
戦地からもナポレオンは時間を惜しんでラブレターを送るのですが、興味がないジョゼフィーヌは浮気へとはしる。ナポレオンにも各戦地に愛人はいたのですが、男の自然な性欲の解消を果たすため。軍略会議の隣の部屋で女性を裸にして待たせたというのですからびっくり。
不道徳な堕落したパリ。民衆のための皇帝が誕生。その戴冠式の場所にナポレオンはノートルダム寺院を選びます。以前の革命政府はキリスト教を離れるように指示。国民は精神や心が病んでいた。荒れ果てたノートルダム寺院を改修し、ナポレオンは宗教の自由を認める。戴冠式にローマ法王がきます。戴冠式でローマ法王から冠を奪い自らの頭上に掲げ、妻ジョゼフィーヌに冠を授けるポーズをとる。そこを描いたのがルーブルのダビットの戴冠式の絵です。さあ・・コレはどんな意味があったのか革命なのか、野心の塊なのかは歴史の面白いところです。
ナポレオンは皇帝となり、そんな二人が暮らしたのがパリ郊外のフォンテーヌブロー宮殿。世界の中で、フォンテーヌブロー宮殿とオーストリアのハプスブルグ家のシェーンブルン宮殿は別格の輝きがあります。フォンテーヌブロー宮殿を訪ねた時に、すごく落ち着くんですよ。回廊や豪華な建物もいいんですけど、反対にある静けさがなんとも言えません。ナポレオンは連戦連勝しオーストリア・ロシアを破り凱旋門を建てるのですが、この宮殿の空間でなにを見て感じていたのか・・思うだけでテンションMAXでした。玉座には蟻の模様が書いてあったのを思い出します。
ナポレオンはイギリス以外ほとんどを支配しました。しかし、その野心のためにたくさんの犠牲者をだします。ワーテルローの戦いで破れ、南大西洋の孤島セントヘレナ島に幽閉され、51歳でなくなります。
不倫した妻を許したのですが、ナポレオンは妻ジョゼフィーヌと離婚。(本当に好きならば許すんでしょうね。)それを機に下りエスカレートに乗ったように敗戦を重ねた。
別れると何かとてつもないエネルギーをなくしてしまう。できる男というのは、求愛すると頑張り続ける。「予の辞書に不可能ということばはない。」どうだ俺はこれだけ頑張れる男だと。あの純粋な求愛のラブレターをかける女性に巡り会えて、めくりめく夜を過ごし、癒やされてたんでしょうね。男を頑張らせてしまう女。二人は子供に恵まれなかった。子供がいたら、遠くロシアまで戦いに行っただろうか?皇帝に歴史はそれを許さなかった。
テレビで面白いことを言ってました。ブルジョアというのはナポレオンがつくった。それまでの貴族は、男も女も高い教養を身につけた富裕な姿はチャラチャラしたものだった。ナポレオンは勝利して、富と名声を得たが自分は軍服をきて、妻をおしゃれにした、と。レディファーストはナポレオンでしょうか?
死を前にして「ジョゼフィーヌ」と彼女の名前を呼んだ。
パリの街は美術館にドラマがある。ロダン美術館をいつも訪れる。「考える人」に挨拶に行くためだ。「考える人」は右肘を左のももに置いている、そして右手首折るようにまげ、そこに顎を載せている。その構図の出す空気。元来彼は引き返すことができない地獄の門の上から、下を見ているのだ。(今は切り離されている。)
「悩む」は堂々巡りだけど、「考える」は一歩前進。
錦織圭選手、ベスト8これからがクライマックスです。
6月ですね、今週も頑張りましょう。
今日はこんなところです。
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