おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

バー露口ある東西通りは、昭和懐かしさが、ところどころに佇んでる大好きな通りだ。

タイムトラベルように何十年ぶりに、先輩につられバー露口真夜中ドアをあけた。

僕にはバー露口は昭和海を渡ってきた船ように見えた。

昭和33、船長夫婦は伊予国に碇をおろしたという。
(昭和33年僕は生まれていない。創業58年)

ご主人は白いシャツと蝶ネクタイでキリッとした立ち姿で向かえてくれた。奥様は白いおしゃれなワイシャツと愛嬌たっぷりメガネ姿に、口元赤いルージュは100%マドンナような気概が感じられた。

席に座るやいなや「ハイボールおねがいします」、と先輩は腰をかけると同時に頼んだ。

絶妙タイミングと音量が心地よい。僕は、最初一杯常連客流儀をそこで知った。

バードア呼び鈴がなるたびに、SNS口コミにつられ全国から旅人はやってくる。「松山メッカ巡礼か?」、と思うほど勢いで、県外から訪問者はおしかけてくる。(最近は1泊朝食スタイルで、夜は街にくりだすらしい)

店は素知らぬふりで、見物するにまかせているようであったが、満員となり、長いバーカウンター後ろスペースでまとうとすると。「ごめんね、満員だから、また来てね。店内では待てない」と、奥さんが見事に露払いをして、店内温度と美を守っている。

昭和野郎僕たちは、音楽、靖国参拝、教育勅語、韓国、そしてバックなか数億現金にそれはないだろうと、唾をとばし激論して夜はながれた(笑)男と女であれば、真夜中ドアをあけると「恋と愛とは違うモノよ」なんて会話をするモノ・・・。

こうして威丈高にけぞりながら、めりになり話したくなるは、時洗礼をうけたこお店なかに、会話素粒子が、わだかまりながら壁に吸着しているからだろうか。僕は店を見渡しながら、そんなかたまりがほうぼうに残っているを感じていた。

たまに漏れ聞こえる、バーテン夫婦とお客さん会話がイキだった。

自堕落なアラフォー女どうでもいいような会話に、まともらしさを。そして店中で黙りこくっている男には少し薬とジョーク軽口も売る。

松山夜に「夫婦は一対反射鏡」か・・・夫婦二馬力には勝てないね・・(^^)

バー露口は、旅人を迎えてくれる母船ような場所だった。

どうか1年でも長く、続けていただきたい。

歴史は夜つくられる。子供も夜つくられる。(笑)

僕たちは意識が停電をおこしながらも、たった一夜に、語り尽くせぬことを語りあっていた。これでいいだと・・・。