おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

 

吉祥寺東急REIホテル、時計は朝の04:29。

夜明け前です。

 

松山から、荒井由美デビュー45周年コンサートへ。

 

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ファーストアルバム「ひこうき雲」(1973年)の世界観が再現された演奏はティン・パン・アレー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆)

※コンサートコンセプトとかはこちらから
一夜限りのプレミアムコンサート荒井由実「ひこうき雲」コンサート
http://www.wowow.co.jp/music/songsfriends/

 

コンサートの場所は中央フリーウェイの舞台。

 

武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ(東京・調布市)

 

 

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コンサート会場は中央フリーウェイの舞台、調布

右にみえる競馬場、左はビール工場

この道は、まるで滑走路

夜空につづく

(中央フリーウェイ )

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音楽の神が、天空から流した涙が、一人の音女神を産み落とした。

 

ユーミンは当時八王子に住んでいた。

松任谷正隆(夫)さんは

車好きで、この道を送り迎えし

このあたりでプロポーズしたんだろうか(^^)

そんなありきたりのことに、思いをはせる。

 

中央フリーウェイなかで

彼女はこの場所を「滑走路、夜空に続く」と歌にした。

 

ユーミンが都会でなくて、八王子に住んでいたというのに興味がある。

彼女の歌は「助手席」で生まれた香りがするからだ。

もしユーミンが車を運転していたら(笑)、イカツすぎて、

強い女過ぎて、世の女性は同調できなかっただろう。

女性は「助手席」が大好きなのだ。間違いない。

 

 

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町の灯が、やがてまたきだす

二人して流星になったみたい

(中央フリーウェイ )

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こう「助手席」で歌われたら、誰しも心はざわめく。

ユーミン・・・すごい。天才。

 

どこかしら、いまでも新しい。

そういう「助手席」世界感に、何かしら、「私も、私も」が、世の中に

溢れた・・「助手席」争奪戦が起きる、時代背景もあった。

 

そして、この場所でこの曲を聴けた幸せを感じながら

中央フリーウェイを聴きながら

なぜか僕は、バックバンドの夫、松任谷正隆さんをみていた。

男の顔してた、カッコイイ。

 

デビューアルバム「ひこうき雲」は、ユーミンが14歳から16歳に書いた曲がほとんどらしい。「ひこうき雲」の中に、手垢のつかないありのまま
の荒井由実がいて、その熱量にほだされるように、彼女を世に解き放ったティン・パン・アレーがいた。

 

彼女は、年上の男達の用意したヴィークルに素直にのった。

 

松任谷正隆さんがツアーパンフの中で、アルバムづくりでは「彼女はなんでもOK」スタイルと書いていた。ちょっと意外だった。

 

我を通すとか、自分なりのこだわりを貫くスタイルではないそうだ。

 

しかしながら、ユーミンの曲はそうではない。(笑)

 

そこが面白い。

 

女は、決していいなりにはならない。

 

主導権は、どこかしら手放さない。

 

好きな男に陶酔しない。

 

私のすべてをささげますみたいな感もない。

 

ソーダー水のように、はじけて、泡だったところを切り取って恋を音楽に

 

かえていった。

 

一生懸命とか、ドロドロとか、未練とか、涙は禁物。御法度。

 

だが、卒業写真のように、暫く時間をおいて、数年たってからを

 

見事に描く。然るべきときが流れ、ちゃんと恋をふりかえる(ここ大事)

 

悲しいことがあると開く革の表紙

卒業写真のあの人は、やさしい目をしてる

・・

人ごみに流されて

変わってゆく私を

あなたはときどき 遠くでしかって

・・

あなたは私の青春そのもの

(卒業写真)

 

はい男も、脱帽です。

憧れの「助手席」、それは

時に「幸福感」でもあり、

時に「憧れ」は「涙」に変わりもした。

人生を切り取ってくれた、数々のユーミンソングは

遠い記憶をよびおこす。

 

堤防を越えて、涙腺崩壊しながら

コンサートは、至福の時間だった。

これから原点回帰とか、名曲特集コンサートが増えそうだ。

 

音楽のレジェンド達が、自分の持ち時間が少なくなってきて

最後をどのように表現していくんだろうか、

なぜかそれを見届けたいと思ってきた。

そこに、自分の背中を押してくれる何かがある気もしてる。

人生の最後にきかせてくれる音楽

 

それは大衆をひきつけるんだろうか?

今、そういう「初めて」が音楽の世界にある。

今日はこんなところです。