8時ちょうどの、あずさ二号で

私は私はあなたから旅立ちます。

 

小平奈緒選手、金メダルおめでとうございます。

なぜか、500mで彼女が金メダルを取って、彼女の地元、相沢病院や、信州大学がある、松本・諏訪辺の事が頭をよぎってしょうがない。

 

国鉄の特急あずさに乗って、僕はなんど新宿、長野駅を往復しただろう。

 

出発駅の新宿の火照った駅ビル。すえたあせ臭いビジネスマン、ハマトラからニュートラに変わったOL、ごった返した駅の人波は佃煮のようだった。無駄にざわめきが涌いている新宿駅の光景を車窓から見ながら、木島平にログハウスを一人で建てているおっさんの夢を、僅かばかり手伝うために、20代後半から4年間くらい夏休み、冬休みは必ず木島平を訪問していた。

 

もちろん交通費は自腹、毎度ボランティア。オーナーは大阪でLIVEハウス(JAZZ)をそのまま、木島平でやるのが夢だった。そして、その夢に巻き込まれた家族の苦労は、なんども僕の胸を抓ったもので、涙物語りの本線をいくものだった。

 

天井の断熱材をはめたり、水道をひくためにスコップで穴を掘ったり、ともかく肉体労働がつづく日々。それでも、朝牧場まで30分歩き味わう牛乳、オーナーの息子二人にトランプマジックみせてあげた昼食、奥さんの夜のおいしい食事、そして信州の日本酒。おまけに秘境の馬曲(まぐせ)温泉の露天風呂。その時間たちに囲まれ、僕は何かしら満ちたりていた。

 

行く度に自衛官の人や、大阪のバンドマンや、ともかくまった女っ気がないメンバー達(笑)。そこ抜けに楽しい男達の数日の夜があった。僕も、東京からつれだって、友達をよく連れて行った。

 

こういったボランティアメンバー達の応援する思いを下敷きにして、基礎工事から、地下室で家族が暮らせるようになり、1F、2F、屋根裏と完成して行く。そこまで着工してから3年。なんども資金不足に陥っては、資金を集める自転車操業の繰り返し、とうとう雪で仕事の進まない冬場はマスターは歌舞伎町で小さなバーを出したりもした。焦っていたようにも思えた。

 

出会ってから約4年の月日が流れ、1Fのホールにステージができてピアノやドラムセットが持ち込まれた。70%くらいの完成度でありながら、50名は泊まれるログハウス。冬場はスキー客で週末は満員になっていった。家族は意気揚々としていた。

 

思い出したくない悪夢の日から何年たっただろう。僕は、再び大阪堂島でログをつかったLIVEバーをはじめたマスターと会った。どでかい夢までのっけたログハウスは、薪ストーブの熱処理がわるく、完成まで残り10%というところで出火し消失してしまっていた。

 

酒をのみながら、60歳を超えたマスターは「もう1回再建する」と意気地を込めて語っていた。

 

そして、不死鳥のように彼は立ち上がり、孤高に木島平に作業小屋をたて、一人で小さなログハウスを建てようとしたが数年後挫折してしまった。

 

「夢は必ず叶う」

「人間は何度でも立ち上がれる」

 

そういう思想は人間が考えだした最大の虚構だろう。まぼろしだ。そして97%の人は、こんな物語を訊きながら、アクセルを踏まずに星になる。それでも、狂うというイデオロギーに殉職することができるのは、幸せかも知れない。

 

司馬先生が幸村にこんなこんな言葉をしゃべらせている

 

幸村は、男はたれでも、自分の才能を世に間うてみたい本能をもっている、といった。男が世に生まれて生きる目的は、衣食をかせぐためではなく、その欲を満たしたいがためだ、ともいった。「むろん、煎じつめれば、それも所詮、屁のようなものさ。しかし、その屈のようなものも当人にとってみれば、たいそうなことだ。ひらずに死ぬのかと思うと気が狂いそうになる」

 

小平奈緒選手31歳、どうやって彼女はアクセルを踏んだのだろう。

 

「夢は必ず叶う」の言葉は、どう扱ったのだろう。口にも出さず、金庫にいれていたのだろうか?

 

朝一、メルマガを書いているとあっという間に配信時間の9時になってしまう。(笑)

 

スポーツの縦関係というのは、いつまでもつづく落語でも師弟関係というの根強い

 

そこは垂直軸が、姿勢をただすような謙虚さを産み出すしている。ひとつの思想なのか、つきつめれば宗教ともいえるほどなのか・・・

 

金メダリストの孤高の心はどうなっているんだろう

 

小平奈緒選手の茅野っていいとこですよね。

 

白樺湖でSQUAREのスキーツアー企画したな・・とか

三井の森蓼科の白樺のゴルフ場は最高だったなーとか

茅野から八ヶ岳をぬけるドライブコースを一人で走り抜けたなとか