初夏を感じさせる夏の光が、キラリまぶしい五月!そんな夏へのグラディエーションを浴びながら、8回目のお遍路まわりへ阿波路旅。19番札所立江寺、18番恩山寺、17番井戸寺、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺、13番大日寺と7ヵ寺を巡礼。

旅というのは、内蔵と内蔵がふれあうような、感動増幅装置を搭載している。停滞感、閉塞感、理不尽などを抱えていることが装置稼働オンのきっかけになるかも知れない。そのボタンは無意識のなかにあるような気がしている。

ある夏の夜。自分が主人公でミッションインポッシブルの主役を演じる夢を見る。オレは本編とは全然違うミッションがあたえられ、主人公になり、時に想像を絶する失敗をして朽ち果てる。そのストーリーは自分が意識してつくったものではないんだ、無意識に脳がなにか時空をゆがめたように演出してくれる。なぜか、マブイ女とのラブシーンはない(笑)ここで不思議なのは主人公なるオレは、流暢な英語や、フランス語を話していないことだ。不思議か、不思議じゃないだろ。すべては夢は過去の貯蓄のミラクルな組み合わせじゃないの?これって?無意識というのは人知が及ばない世界。それを脳は勝手に組み合わせてくれる、鍛えれば無意識が、いいメロディを奏でてくれる。禅の世界なのかな・・・。

人生は、無駄な金と、無駄な時間でできている。そのくだらないモノだけが、無意識に振り子の幅をでかくするようだ。

しかし、あまりにも平和すぎる、このお遍路の旅でボクはそんなモノに少しでも出会えるだろうか。お遍路ってなんなんだろう。まあ、それでもきっと100年プリントに出会えるだろうと思えるのは、お遍路に飽きてないという純粋な気持ちだ。恋も飽きる、夫婦関係も飽きる(爆)オレは、お遍路に飽きてないのだ、確かに。(^O^)消化試合のお遍路だけにはしない。

さて、18番恩山寺で摺袈裟(すりげさ)という、四国八十八カ所の中でも隠れたお守りを買いました。皆さんは、宗教やお守りを信じますでしょうか?このお守りを見つめながら考えるんですが、お守りを信じるのは、才能。信じないのも、才能。

人見知りなども、自分の才能だと思えば力強く才能になるんじゃない。

人見知りは、引っ込み思案で、社交性がないとか、長いものにまかれるとか、そんな傾向を言われる。逆に言えば他人への観察力があるから、嫌われるようなことも呑みこむことができる。

人見知り君の想像の翼は、こう言ったら相手が喜ぶということも、無意識のうちにきっと想像できているんだ。何度も、何度も自分に浴びせられた嫌な気持ち。過去の記憶も含めて、才能なのだ。モテない男やモテない女は謙虚という毒薬をいつまで飲んでいるのだろうか、謙虚というのは褒めてもらいたいための裏返しじゃないの。謙虚は、生ゴミのようになかなか捨てられない。たまには捨てちゃえ。(笑)もう、すでに謙虚なんだから。もうオレの謙虚は、箸にも棒にもかからない時があるのは間違いない。(笑)

夏目漱石は「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」と、いった。謙虚も武器にすると才能になる。

さて、日曜日は親父の49日で親戚が集まりました。
いろいろ寄り添いあったこの何年かは、家族ということを考えさせられる大事な日々でした。会話ができなくなっても、毎日病院に通う母を見ながら、夫婦の本当の愛を少しばかり勉強させられました。今日喪が明けて、足下に再びスタートラインを引いて、スタートです。

久しぶりに自転車を倉庫からだして、ブレーキなどを全部新しくして、ペダルをまわす。夏に向かう風は、自分がとかく伏目勝ちになっていた気分を変えてくれる。

荒野を駆け抜けなければ(^O^)