おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

お決まりで起きぬけに、竹内まりや SEPTEMBER(1979)からスタート。♪ダダダ ダッダッダ ダ ♪キュルル~ン!のイントロのギターが神。キュルル~ン!フレーズ考えたの達郎さんかな秋のゴングなんですよね。

 さて、夏の読書で考えさせられた話題を、夏の締めくくりとして

 それは東北大震災の「津波という名称はいかがなものか?という疑問から・・。

 どうも津波というと、ビッグウエンズディのようなチューブができサーファーが乗る波を思い出します。これは風によってできる波で、5mあっても海岸に打ち寄せる過程できえてしまう。台風の波も防波堤にあたって飛沫をあげる程度でおしまい。

 東北大震災の「津波」はそういう波ではない。地震によって沖合で海面が持ち上がる。その時は数十センチ。しかし、持ち上がる範囲が数十キロとなると、その水量というのは莫大な堆積になる。5mの波は防波堤にあたっても、とめどなく押しその運動エネルギーは果てしなくとまらない。

 言葉は同じでも、現実が違うなら「津波」という名前を変えるべき。
 「科学的にはどういう意味か」の筆者森博嗣は「超高潮」と言葉を選ぶ。

 ニュースでも初めて体験する地震の5mの津波がどういうものか、どれだけ危険なのか被害状況の客観性などが伝えきれてなかった気がする。そう考えると「言葉」の持つ意味をもっと真剣に考えるべきであり、自分なりの分析能力がどれほど大切か考えさせられます。

 ネットでいろいろな感想が流れる世の中。それがどういうふうに科学的に流れているか、そんなことに変態としては興味津々になる。FACEBOOKに流れる、こだわりのシェフのハンバーグ!という言葉はエアーコピーにすぎず、個人的感想、個人的印象の世界が今は蔓延している。おみくじひとつで気分も変わる。言葉も「科学」的な視野からみなければ・・。

 インドを廻った時に、ガンジス川のほとりで木で組まれた祭壇に、ひとりの年老いた老婆が火葬されていた。その炎が5mくらい上がり、人はこんなに燃えるのかとボクはため息をついた。その灰はガンジス川に流されお墓はないのだ。日本は高い戒名代金をはらい、お墓、仏壇と多額の出費をしいられる。それは文化であり、安心を産むのだからとやかくこれ以上言うつもりはないけど・・。「ことば」とか「習慣」とか「プロセス」を科学的に客観的にかみくだくことも思考停止にならないことへの道標だと考えさせられます。

 筆者が「科学とは、誰でもが再現できること」と定義していましたが、なるほどです。その言葉で、何か吹っ切れます。科学的にを取り入れることは。ひとつの「方法」ですね。

 ミラノに行くことがあれば、レオナルドダビンチの博物館を訪ねることをおすすめします、通常の観光コースにはありません。そこでダビンチが人は飛べるのかをテーマにメモを残し、動物の解剖をし筋肉を調べ、人体図、ヘリコプター、戦車などのスケッチなどを書いた「ダビンチメモ」があります。それとすごいのは、レオナルドは鏡文字(鏡に映してはじめて読める文字)で書いてるんですよね・・。なぜなのか??凡人にはわかりません。(笑)

 最後にダビンチの言葉で無理やり(笑)締めくくります。

「絵画とは、やがては滅んでしまう存在の美しさを留めておくことができる素晴らしい科学である」

シンプルさは究極の洗練である。

経験は決して間違えない。間違えるのは人間の判断だ。自分で実験してもいない結果を予測して、判断を間違えるのだ。

この宇宙には様々な形があり、様々な色があり、様々な性質を持った物が溢れている。だが、その全ては、ある一点に集約される。それは驚くべき一点だ。驚いたことに全ては必然なのだ。全ては自然の法則が働いた結果、必然として生まれた。一切、無駄はない。まさに奇跡だ

今日はこんなところです。

追伸
「人どうやったら飛べるのか」
 9月3日(水)夜7時に鳥人間コンテスト2014がありますが、最高に面白い。

 あとSeptember アース・ウィンド・アンド・ファイアもお忘れなく。