おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。
バー露口のある東西の通りは、昭和の懐かしさが、
タイムトラベルのように何十年ぶりに、
僕にはバー露口は昭和の海を渡ってきた船のように見えた。
昭和33、船長夫婦は伊予の国に碇をおろしたという。
(昭和33年僕は生まれていない。創業58年)
ご主人は白いシャツと蝶ネクタイでキリッとした立ち姿で向かえて
席に座るやいなや「ハイボールおねがいします」、
その声の絶妙のタイミングと音量が心地よい。僕は、
バーのドアの呼び鈴がなるたびに、
この店は素知らぬふりで、
昭和野郎の僕たちは、音楽、靖国参拝、教育勅語、韓国、
こうして威丈高にのけぞりながら、
たまに漏れ聞こえる、
自堕落なアラフォー女のどうでもいいような会話に、
松山の夜に「夫婦は一対の反射鏡」か・・・
バー露口は、旅人を迎えてくれる母船のような場所だった。
どうか1年でも長く、続けていただきたい。
歴史は夜つくられる。子供も夜つくられる。(笑)
僕たちは意識が停電をおこしながらも、たった一夜に、
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