長ーい、長い水平線を窓越しに遠望しながら、四万十市に僕は向かっている。

高知から四万十市に伸びたハイウェイのこの景色は「なんちゅう、でかい!」太平洋を心の中に投げ込んでくれるんだ、イヤフォンで、密かに今井美樹の「Driveに連れてって」をリピートに設定し、16ビートのリズムに、足で「タッッ・タッッ ・タッッ 」3連のバスドラを叩きながら、ご満悦して旅がはじまる。

DRIVEに連れてって 今すぐに 二人だけの 夢見る ランデヴー

ハンドルを握る 横顔を 横でそっと 見てるのが好き

AH… 想い出のあの曲を聴きながら

気分は20代のあの頃なんだけど、現実はお遍路のバスの中は平均年齢70歳以上の46名の乗客。(^^;)しかも、申年閏年逆打という、12年に一度の御利益3倍の年で・・・空き席が一つもない。このギャップのねじ曲がったような空間、隣の助手席もどきには、広島から一人参加のお遍路さんとお尻愛。ちょっと心が萎えそうになる(笑)

それでも僕は、日常の中に仏教を放り込んだ。

今日の一日は、日常が別回路に繋がっているようだ。回路の接点が仏教というこの組み合わせの妙が、必然的に新しいものを、この”ぼんくら頭”に刺激のパルスを送ってくれる。

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途中、仁淀川のブルーはまだ夜明け前で、あの青春の多感な時期に見たブルーが、夏にこなきゃダメだよと呼んでいる。はっきり申しあげて、夏のギラギラした日差しに溶けるような透明なブルーは、日本の中でも別格だ・・・。ひとはこのブルーを仁淀ブルーと呼ぶ。それに、突き抜ける青空が重なったときが、仁淀ブルーマジックになり、清らかさが幸せに浸らせてくれる。やっぱり、この川は夏が似合う。

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さて、37番札所岩本寺に到着。本堂内陣の格天井画は花鳥風月から人間曼荼羅まで、575枚の絵が天井を彩っている。その美しさに頭を垂れるしかない。参拝がおわると、いきなりの昼食。先達さんが、時期法(漢字があっているかはわかりません)と唱え

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一粒のお米にも万人苦労を思い、

一滴の水にも天地の恩恵を感謝し、

有難くいただきます

 

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と合掌してお昼をいただく。かおり飯であり・・なんともいえないスローボールのチェンジアップみたいなお味なのですが、ダメだ僕には・・・と心がお話ししている。

 

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引き続き36番札所青龍寺へ。明徳義塾高校が近くにある。あの朝青龍の名前はこのお寺に由来するらしい。由縁をお寺の人にきいたら「勝手に名のった」とのことで、なんとも朝青龍らしい(1月場所優勝した琴奨菊も明徳義塾)。 相撲部が鍛錬した170の階段は、一気に登ると、息が暴走モードになるほどだ。段をおりてホッとすると、登りでは感じなかった香りがした。沈丁花の香り・・が初春をもうでているようで、お遍路ならでは非日常を感じた瞬間がそこにあった。

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海沿いのドライブインで休憩になった・・・。海が綺麗なので、荒井由実の「海を見ていた午後」をON AIR。ぼーーと海を見つめる。たわいもない時間がふくらんでいく。海に滲んだ記憶が・・そうさせてくれているように。

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35番札所清滝寺は、バスからタクシーにのりかえて、車はスイッチバックを繰り返しカーブを曲がりながらあがっていく。初春をつげる文旦の木が立ち並ぶ。運転手さんが、「文旦は酸っぱいんで、あのわらの下で文旦を熟成してるんですよ」と教えてくれた。あの皮の面積が50%はありそうな、 グレープフルーツの先祖みたいな果実は、こうして一級品になるようで、道の駅では1個500円くらいする高級品だ。それが途中の坂道で、3個100円で無人販売されていた、お遍路さんへのご接待なんでしょうね、愛があるなー。このお寺は桜の木が見事で、目を閉じると満開の景色が浮かんでくる。

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いよいよ最後は、34番種間寺。底抜け柄杓の安産祈願に目を奪われる、「妊婦が柄杓をもって詣ると、寺では底を抜いて二夜三日の安産祈祷をし、お札を添えてかえす。それを妊婦は床の間に飾り、無事に安産すれば柄杓を寺に納める」そうだ・・。「こんなの誰が考えたんでしょうね」と渡すようにベテランのお遍路さんにいったら、「子安神社とかいっぱいあるよね、高野山には母乳がたくさんでるような安産祈願の絵馬があるよ」と教えてくれた。高野山か・・・このお遍路旅がおわったら・・そこに行く自分をしっかりイメージしている。

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お大師様、ならびにそのDNAを継いだお弟子さんは、こうしたいろんな仕掛けを造りながら、仏教をそばに置いて仏教を近づけたようで、のんびりするのは、背景が平安時代のよき時代だったことに起因するのだろうと思う。そうかんがえると、鎌倉の飢餓に苦しんだ時代の末法思想の鎌倉仏教とはどういうものだったんだろう?

歴史心は不自由な時代の有り様を探求したくなっている。

お遍路。帰り道。

AKBの山本彩さんがギターで奏でていた、かりゆし58の「オワリはじまり」を聴きながら青春のオマージュのように 、バスに揺られチックと眠りこけた。

なんだろう。この旅でまだ仏教という実感が足りない。たぶん最後までそうなんだろう。そんな機会も滅多になさそうなので「空海の景色」を読みおえたあと、数冊空海関連の本を流し読みして、近づいてみている。

そんなこんなあるけど、お遍路旅というのは、少しばかりは、心をやわらかな気持ちにさせてくれるようだ。

今日は、こんなところです。