船旅ってなぜいいんだろう?
 ふるさと松山から大阪まで行くのは、いつも関西汽船だった。今は瀬戸大橋ができ、バス便がめぐらされてその航路も廃止となった。

 混み混みになると、2等客室に与えられる権利は寝返りの打てないような、畳の半畳もない、ぺしゃんこのシートの上。それに毛布1枚をたしか50円くらいで借りる。50人くらいの人が客室にいただろうか・・。昭和の旅の醍醐味だ。

 お決まりで風呂に入りに行く。水の節約か?安全性か?めちゃ浅い風呂で・・落ち着かない。しかし、なにか陳腐な風呂も心のビートをたたくのが不思議だった。
 小生の息子も・・一緒に船の風呂に入ったことをたまに口にする、子供心にも何か心に残るんだろうな・・2回目の時は風呂にはいるのを楽しみにしていた。

 ささやくエンジン音を子守唄代わりに聞きながら、母なる海の鼓動に合わせるように大男も眠る・・耳元のウオークマンの音がしみる。

 疲れてない時は眠れん。甲板に出て潮風をあびるしか手立てがない。(笑)

 寝たんか、寝てないのか・・・中途半端な記憶に笑いながら、三宮で降りて阪神カラーに染まった商店街を歩きながら・・・JRに乗ったことがなつかしい。

 東京から松山に戻るのに、竹芝桟橋から、船で2泊して高知経由で戻ったこともある。(この航路も廃止。)船中2泊という長旅なんです。夏だったので、竹芝は南の島へ向かうギラギラした若者で一体だったな・・。
 那智勝浦に早朝停泊するのですが・・・ともかく海岸線の景色が最高でした。

 旅行会社に就職して、一番最初の海外添乗は「新さくら丸」東京都青少年洋上セミナーで高校生500人を乗せて、東京~天津==北京を往復する洋上研修。

 船の中ではいろいろなテーマの分科会が行われ、スクールスタイルの会議室や映画館、和室もあって、そこで武道やお茶などの文化活動、船の点呼や掃除、マナ等いろいろなテーマで学ぶ、洗濯機もありました。わくわくな研修でめちゃわくわくで面白い。翌朝には船内新聞を自分たちでつくって、発表するんだけど、ユニーク極まりない。

 そして商船三井の名物船長弓場船長の話は今でも心に残ります。母親が息子を戦争に行かせないように寝ている弓場船長の目を針で突こうとしたときの母の話や、戦争中、乗っていた輸送船が魚雷を受けて洋上を漂流した話。どんな荒れた海でも、かならず穏やかな海がおとずれる・・・。涙が止まらなかった。

 夜明けとともに通った関門海峡、巌流島、天津の熱烈歓迎の出迎え、途中台風にあって・・・船長がコースを綿密に計算している姿。人民中国人民会堂での夕食。冷蔵庫のない中国、氷を入れただけの冷蔵庫、タライに氷を入れて冷やしたた中国賓館の庭で飲んだ別格の青島ビール、友誼賓館のおみあげは、月餅とシルクのハンカチと水虫の薬くらいしかなかった。万里の長城のトイレは50人くらいが向い合ってするトイレだった・・・出るものも出ないトイレ(笑)

 極めつけは、船の食事は本当に美味しい、格別だ。
 美味しくなければ船旅ではない・ 

 そして、そして最後の船上サヨナラパーティは、白いTシャツにマジックを持って書きあう、みんながいろいろな思いを書き綴った白いTシャツは宝物になった。高校生の抱擁や涙・・まさに青春の1ページ。

 船という空間は仲間をつくる箱!だと今でも思う。

 日本の経済復興・・スペシャルチームを乗っけて太平洋でも横断しろと叫びたい、いいアイデアでまくりますよ。きっと。

 翌年は東京都勤労青年洋上セミナーで上海に、エーゲ海クルーズ、北欧クルーズ、いろいろ船旅を経験できたのは宝物でありました。

 学生の時に松山~(1泊)~大阪南港~(2泊)~沖縄~(1泊)~石垣島
 というダイナミックな旅を2回ほどやった。

 神様は縁というのを与えてくれるのだろうか。

 いそいでいいこともあるけど、船もいいもんだ。

 次の目標は東京へ船で行くこと

 四国からは徳島から唯一東京へフェリーが出てます。(曜日限定)
 徳島=東京 2等で10,050円(片道) 自動車4m未満24,600円(片道)
 徳島金曜日11:30発 ⇒ 東京翌朝5:40
 東京日曜19:00発 ⇒ 徳島翌日13:20
 

 これ松山からでも、あると思います。(笑)

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渡部雅泰クレストデジタルズ株式会社 CEO
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