時の狭間に置き忘れたような物を、回想するかのようにNetflixで「男はつらいよ49作」を第一話から見ています。現在37作目「男はつらいよ 幸福の青い鳥」、マドンナは志穂美悦子さんです。ラーメン屋で長渕剛さんが登場した時にびっくり、映画で知り合って結婚したのかと、記憶の糸をたどりましたが、さっぱり事実はやってきません。(笑)

 

1作目を見たら、止まらなくなったんですよね。

 

寅さんはトランクひとつの旅人、「風の吹くまま、気の向くままに」日本を北から南まで。

 

どうだい、今はiphoneもってればナビと観光サイトを見ながら、ぐるなびの星★★★の数をたよりに食事をして旅をして、スマホで写真の思い出をとる。それはそれで楽しいかも知れないよね、でも、それで満たされないものがあるということには気がついていない。いや、本当はみんな知っている、もっと自由になりたいと。

 

寅さんは映画の中で、人差し指をなめて風の吹く方向を感じ、風の吹くままに、流されるように旅をつづける。あるがままなんだよね、画面の昭和の原風景がなんとも、ノスタルジックな風景を指でなぞりたくなる。

 

今の旅はどうだろう、なにか自分が調べた物の「答えあわせ」をする旅だ。iphoneに答えを探して納得しているのだ。迷わないんだよね、そこが悲しみの果てではないか。ちゃんとお金も持っているしね。

 

民くれの毎日でさえ、「答えあわせ」のような人生では、疾走感やロックンロールをわすれてしまう。

 

学生のときに沖縄を船旅して、沖縄から神戸まで船に乗ったらポケットを探ったら、残り金が100円しかなかった。カップヌードルだけを食べた二泊三日、腹が背中につきそうな空腹は忘れられない。その旅で、両親に三枚ほどハガキを書いた、いまも実家のコルクボードに画鋲でおされ生き生きと輝いている。たまに、あの二十歳の多感な青春野郎の自分に、僕は勇気をもらうことがある。

 

喧嘩ばかりしながら、仲がいいというのは本当の家族だと思うね。「困った時はお互い様」という感じが、いっそう羨ましい。

 

夏目漱石が「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」とかいてたけど、愛嬌があるのは、この世では子供しかいそうにない、それにスマホもたすから、中学生くらいで愛嬌を忘れ去られている。

 

寅さんが毎度使う「釣りはいらないよ、とっといてくれ」がいいね、気っ風がいい、東男の羽振り。そういえば、親父も気分がいいときは、いつも釣りをとらない男だった。

 

寅さんの啖呵売が、寅さんの生きる力で漲っている。男が惚れ惚れとする。精神と、肉体の活性化がたまらない。あの瞬間、寅さんはファッション雑誌から切り取られたような美人との、ほのかな恋を終え、ちょっとばかしの未練と、惨めな自分を上書き保存する。そして、再び祭りの縁日で自分をとりもどし。元気ですよと、とらやにハガキを送る。

 

その連なる物語が、大人達に自由をとりもどせと叫んでいる。

 

日本人というのは模倣が得意だ、そこから突き詰めて、組み合わせをかえて没頭し、パクリから発明をしていく。鉄砲なんて、分解してつくらせたら、あっという間につくってしまう。堺で分業で大量生産で世界の半分くらいの鉄砲をつくってしまった。

 

捨て鉢のような寅さんの孤独、旅人としての孤独、自由とひきかえの孤独、巣食いされた孤独。孤独のムーディで危険な薫りを好きになろうではありませんか。

 

たまには味方のいない孤独な闘いに出ようではありませんか。最後は所詮、孤独のうちに死んでゆくのだから。

 

愛嬌を寅さんのように、持ちながらね。(^o^)