30年も前のことになるだろうか、韓国の38度線、板門店ツアーに参加した。

 

1945年日ソ不可侵条約を破り、ソ連は降伏際の日本に宣戦布告した。日本が太平洋戦争に負け、満州、朝鮮半島から日本人が引き上げると、ソ連は朝鮮半島を南下してきた。そして平壌を制圧し、軍政を引いた。ソ連軍は、韓国生まれ、中国育ち、ソ連軍の大尉となったキム・ソンジュ(金日成)を新生朝鮮の顔にした。

 

そこに、ソ連の勢いにアメリカが待ったをかける。レーニンと話し合い、38度線で朝鮮半島をお互いわけようとなった。すべてはソ連と米国の 更腓ヌ38度線はできた。

 

分断された均衡は保たれていたが、ある日突然。いや、韓国側の兵士らが大酒を飲むようなイベントがあって、その日を狙い澄ましたように朝鮮戦争は起きた。北(金日成)は、ハン川をわたり、3日でソウルを制圧し、さらに南下して韓国は釜山あたりを残して壊滅状態になった歴史がある。※1950年朝鮮戦争

 

ここで、詳しくは覚えてないけど国連軍ができた。その旗の下アメリカ軍は韓国を応援し北の軍と戦うこととなった。アメリカ軍は本土から来るのではなく、日本駐留の米軍7.5万人が動員された。

 

アメリカ軍は釜山側の東海岸から上陸するように見せかけて、実のところは西側に周る。仁川(今ソウルの空港があるところ)に上陸し、補給路を断ち、釜山周辺の北の軍は壊滅状態となる。司令官はマッカーサーだった。

 

そして今度は、韓国側からアメリカ軍が朝鮮半を北へ攻め上がり、ソウルを奪回し、平壌を陥落させ、更に北へむかった。ほぼ国境まで追いつめ、北は崩壊寸前となる。

 

ところが、そこに反撃がおこる。アメリカの地雷源を打ち破るため怒濤の人の波が押し寄る。地雷源は屍の山となるが、屍をこえて人並みが押し寄せる。中国軍だ。アメリカ軍は、その様に、精神的に追いつめられる。ちょっと調べると、アメリカ軍は7.5万人、中国軍は350万人。おぞましい姿は、想像を絶するものだろう。このとき毛沢東の子供が亡くなった。

 

いまでも、北朝鮮を中国が応援するというのは、そういうことなのだ。つまり、北朝鮮は南が北に上がってこれないための、緩衝地帯みたいなものだろう。

 

北は再び、平壌、ソウルを奪った。国連軍は中国を侵略者とし、再度反撃しソウルを奪回し、南北は38度線で膠着状態となった。その朝鮮戦争の休戦協定の場所が、板門店だった。

 

30年前、もう僕のタイムラインはそんな昔を指せるようになった。当時こんな話しはガイドはしなかった。ただ、歴史的な場所というのは、異様な空気が充満し、細胞に何かを考えさせるようなウイルスを空気中に放っているような気がいつもする。

 

自分が訪ねた場所というのは、何かを語りかけてくる。眼を閉じると荒廃していた韓国が思い出される。30年前の韓国は、北の南下に備えて橋には爆弾が仕掛けてられていた、高速道路には中央分離帯はなかった(いざというときの戦闘機は発着陸)、いまでもそれが爆破され、高速に離着陸する戦闘機の群れの夢を見ることがある。

 

板門店からみる、北朝鮮は張りぼての街並みで。双眼鏡を覗きながら、歴史の荒涼とした地場のようなものが、感じられた。人気のない、街並みがあまりにも異様すぎ、虚構に染められたた眼下の景色を、夢の中でいまも僕はたまに双眼鏡をみるように覗いている。

 

さて皮肉なことに、この戦争をもって日本は特需を迎えた。

 

戦争が終わり、日本に常駐する軍はいなくなり、日本をソ連が攻めてはまずいと、マッカーサーは警察予備隊7.5万人を日本につくることを指示した。軍をもたないと憲法で決めながら・・・なんという矛盾。

 

マッカーサーはこの闘いで、日清、日露戦争で戦った日本の代わりに戦ったことで日本の存在を思いしったのではないか、そして日本という防波堤の大切さをひしひしと感じえずにはいられなかっただろう。自ら潰した日本を復興させようと、サンフランシスコ平和条約では日本への賠償要求も放棄された。そして僅か数年で戦前のの国力を日本はとりもどした。

 

歴史というのは、幾つもの人のエゴがつくっているようにもみえる。

どれが正しく、どれがダメなのかわからない。

僕は、もう一度板門店に立つことがあるだろうか・・・。

 

なぜか、地球上で北朝鮮と、中東だけはいろんなことを考えさせられる場所だ。

私が今こう書いていることも、あくまで個人の考えからで、いつも真実は別な場所にあると思っている。