旅行会社で、年末年始のツアーの添乗は若手が担当。 時は1986年だっとと記憶しています。

私のツアーのメンバーは教職員の先生とその家族の一行でした。
これからカイロから南に約600キロルクソールに向かいます。

もちろん王家の谷のツタンカーメンを見に行くのですが、私が会ってみたいのはラムセス2世でした。

ラムセス2世は100人近くの子供と、多数の側室がいたといわれ、異常なほど自己顕示欲が強く、あらゆるところに自分の像を建造したり、銘を彫ったりしたことで有名です。多分彼はバイアグラを飲んでいました。(笑)そして大奥までもつくっていました。 ※ルクソールの神殿に子供達の名前が書かれています。

さて、ラムセス2世の歴史はヒッタイトとの歴史です。

エジプトは陸地沿いにイスラエル、シリア、トルコ(ヒッタイト)とつながっています。当時ヒッタイトは鉄の武器と戦車で有名で、メソポタミアのバビロンをおとしいれたり、盛栄の都でありました。

この戦いは長年続き、ついにはヒッタイトとの平和条約が結ばれ、ラムセス2世はヒッタイトからネフェルトイリ(美人)を王女として迎えるのです。

この戦いとアメン神に守られたラムセス個人の武勇伝が、カルナック・ルクソール・ラムセウム、ラムセス2世葬祭殿、アブシンベル神殿などの壁画で表されているのです。

よくパピルスに戦車の上で弓を引くラムセス2世(カデシュの戦い)が描かれていて、添乗員としてお客さんにすすめていました。 ※カデシュは今のシリアです。


このエジプトNO1のファラオ・ラムセス2世はゼネコンの社長のように、戦場から帰還するたびに凱旋式を催してオベリスクを残し、巨大な建築物を築きます。 ※パリのコンコルド広場にもそのオベリスクがあります。

世界最大の屋外博物館は間違いなくルクソール(テーベ)であります。 古代エジプトの偉大な文明のほとんどが、ここにあります。

太陽が昇るナイル東岸は「生の都」、日が沈むナイル西岸「死者の都」

つづく