夜の長い冬をこなしたヨーロッパの人は、夏は意気込みが違う。

 
民は冬は農耕を行い、夏は海を航海する。拘束と自由が文化を育ててきた。

 
夜9時でもまだ明るい、マドリット。

 
風薫る5月の澄んだ空がテレビのモニターに映しだされた。センターコート マノノサンタナスタジアム準決勝。錦織圭 VS マリー
朝3時という、一人だけの熱狂には十分すぎる時間帯。

 
ヨーロッパに行くと、街の真ん中には教会と劇場が鎮座している。そして、もう一つ聖地と呼ばれるコロシアムが存在する。「コロッセオの立つ限りローマは立つ。コロッセオの倒れる時ローマは倒れん」対決というのは、この世の中で国を熱狂させ、治める事ができるほどのコンテンツ。

 
スペインは私にとっては因縁のある場所。スペインの天才画家ピカソのゲルニカを観れてないことは後悔の塊。ピカソは南スペインの太陽海岸(コスタ・デル・ソル)のマラガ生まれ。マラガという街は白壁の宝石箱のような街で・・地中海の歴史を背負っているような街。あそこは別格の場所だった。そしてアンダルシアの透き通る青い空の反対にあるような、あのゲルニカを観たいという執念は今も心にある。

 
マドリッドオープン期間中はBGMはフラメンコの巨匠、パコ・デ・ルシア。

 
このマドリードOPENのカメラワークは実に興味深い。ボールガールの脚線美の誘惑、とくに足の長い女性がしゃがんでとるボール姿が絵になる。赤いルージュはスペインを表し、水玉のショートパンツはアンダルシアの海辺の美しさを思い出させる。ハイソックスが多少の規律感をにじませる。

 
さて、センターコートに立つ錦織圭選手。

 
一人だけの熱狂。錦織圭追いかけ物語。注目しているのはただ一点。彼は他の選手より1m~2m前にいる。スピンがかかっているボールも、ライジングでボールを打ち返す。「錦織選手のベースライン上のプレーの先にあるものをみたい。」

 
決して下がらずひるまず、うしろに崖があるように戦う姿は、発展途上。

 
相手のマリー選手は、錦織選手の2ndサービスを狙い撃ちし。ダウンザラインの精度が素晴らしく、緩急巧みに攻めてくる。サービスエースが決まると、そのサービスボールがボールガールを渡り自分のところまで戻ってくるのを待つ。流れをたぐり寄せる・・勝負師。

 
錦織選手は意識的に深いボールを打っている、失敗はするが決してひるまない。もっと前に出て勝負に行ける場面もあるけれど、コーチの指示なのか前にそれほどはでない。ファーストサービスが入らず、セカンドサービスを狙われ、ライジングボールリターンはミスとなりこの試合を落とした。

 
マリー選手は錦織選手と戦っていたが、錦織選手は自分のスタイルへの執着と戦っていた。

 
次はローマ、全仏、ウィンブルドン!
今は上へ伸びずに、根っこ伸ばしているんだなと思う。

 

ファイト! 錦織圭!

 

なんでもノリは大事にしなければならない。

 
今日か明日は、パエリアをひとりで食べに行こう。

 
なんでもノリが人生を面白くするだろう。