誕生日というのは特別な日。

必ずその光景をカメラにして人は記録にとどめます。
振り返り、時に成長の記録として見るときに、年月を重ねることの 重みを感じます。

カメラ女子が流行し、デジタル一眼レフでなにげない日々の風景や食べ物などを写真として残している姿がTVをにぎあわせます。そこに、「何かがある」。ふとした何気ない気づきにくい風景に、カット割りに価値観や発見をもとめているのでしょうか?

ひとの名前が「1056」などの番号だと、人生は彩りを失います。
名前をつけることで、ワクワクが産まれ息吹がでてきます。

毎日のライフログをひとつひとつは一見無味なように思えます。

しかし、それを残すということに「意味」を求めれば「1056」の番号が「笑い」に変わり、エネルギーに変わる。

記録は「客観的なデーター 」へのこだわりを産みます。
時にそれは膨大なデーターでしょう、まさに砂金を採集している。

人間は「INPUT」が多ければ、かならず「OUTPUT」が得意になるはず。

オリジナルは非効率な中にしかない

「客観的なデーター 」に人生でこだわりたい。
渡部雅泰@生涯青春