おはようございます。クレストデジタルズ渡部です。

 

日曜日の夜は、黒田官兵衛を見るのが楽しみ。

 

日本のドラマでは、秀吉が気が狂って韓国を攻めたように描かれているけれど、どうも滑稽です。諸説ありますが、少しだけ本を読んで個人的な持論としては、しっくりきません。

 

 

当時のヨーロッパは植民地を求めて世界に航路を開き、コロンブスのアメリカ大陸発見から、スペインは地球儀を塗りつぶせば世界の80%を植民地化。宣教師を世界に派遣し、軍を送り込みました。

 

 

それでは日本はなぜ植民地化されなかったのだろう?

 

 

応仁の乱以降、武士が力を持ち。戦国時代であった。気持ち高い武士がそこにいるのを見た外国は、「あなどれない」と思ったのか。

 

 

これが平安時代だったらやばかったかもしれない。そして面白いのは、その平安時代という平和な時代が、文字という文化を高めた(これは江戸幕府にもいえる)。文字が読めるというのは最大の武器である。

 

 

そして、律令制の時代から中国の科挙を取り入れなかった。中国や韓国はドラマでみますが、科挙に合格したもの(選ばれたもの)が宮中に入り、いわゆる選ばれた文系が国をおさめる。日本は、なぜ取り入れなかったのだろう。この判断を下した人は天才かもしれない。いや・・取り入れよいうと思ってもできなかった深い歴史背景があるに違いない。(笑)※思えば今の日本の憂鬱がここにある。

 

刀狩りを行い、百姓から立身出世した秀吉がいる日本。かくして、そこに気高い武士がいる。文字が読めて、楽市楽座で物が動き、人口も多いし密度も高い島国(愛国心も高い)を異国の人はどうみたのか?もっと調べてみたいものだ。

 

 

おまけに、鉄砲が伝来すれば、分解してそれをつくりあげてしまう器用さとスピード感は外国を驚嘆させた。日本は当時鉄砲の数は世界有数であったらしい。

 

 

当時スペインは外国航路を開きアジアに交易を求めていた。日本という国に目をつけたが一筋縄でいかなさそうだ。そうなると中国を攻め元寇のように大群を送り込もうと考えた、日本にしてもスペインだけの侵略は怖くないが、それが実現すると大群が押し寄せてくる危機となる。

 

 

そこで秀吉は危惧し先に16万もの大群を朝鮮出兵に踏み切った。イギリスも後に香港という拠点をつくった。思えば坂の上の雲でロシアの南下攻撃を防ぐために、旅順がその舞台となった。大きな地球という碁盤の中で、陣地を侵略されないためには、相手に切り込んで布石を打つ。そんな大局観を戦国時代の中で当時の大名はからだの中に染み込ませていたはずだ。

 

そうなれば、この国のかたちを思う心こそが、朝鮮出兵に動いた理由ではないか。そんなことを想像してしまう。

 

この連休に坂の上の雲をもう一度ビデオで見ました。

 

正岡子規は、背中に穴が空き、包帯を変えてもらうとき死ぬほど痛い。そんな時にアメリカに向かう秋山真之が訪ねてきたシーンが印象に残りました。メルマガネタにそのシーンを書き起こしました。(笑)

 

(子規)じゅんさん、日本人は猿まねの民族と言われとるが、外国に行っても卑屈になってはいかんぞな。西洋とて模倣を繰り返してようやく猿マネが終わったとこやイギリスもフランスもドイツもロシアもまねし盗み合い文明を作り上げた。西洋はそれを15世紀にやって 日本は19世紀にやったという違いじゃ

 

(真之)アメリカはそういう連中の吹き溜まりじゃ

(子規)そうやって飲んでかかればいい、日本人がどれだけの吸収力があり、消化力があるか誇ってやればいいんじゃ。日本には大きくて深い皿がある、そこにのっかるもんがいろいろあるんが日本の面白さよ。そういう国を滅ぼしてはならん。国が滅びることは文化滅びることじゃ

(子規)じゅんさん、わしゃあとどんぐらい生きられるかわからん。じゃが、ワシが死ぬまでにやり遂げようとすることを無駄にならんようにしておくれ

(真之)「よし引き受けた」

そしてあの名句が産まれる。

君をおくりて、思ふことあり、蚊帳に泣く

 

このシーンは泣けます。心が痛み、胸をつかまれる。そして坂の上の雲の冒頭のナレーションに戻ります。

 

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

 

「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。

 

産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。

 

誰もが「国民」になった。不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。

 

この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、軍人にも、教師にも成り得た。

 

この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

 

今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様である。

 

財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。

 

 

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。

 

主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。四国は、伊予松山に3人の男がいた。

 

この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。

 

その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂げた。

 

もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

 

彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

 

彼らは明治という時代人の体質で,前をのみを見つめながら歩く。

 

上って行く坂の上の青い天に,もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば,それのみを見つめて,坂を上っていくであろう。

 

今日はこんなところです。

生涯青春 渡部雅泰