土曜日に久しぶりに第4回目のお遍路ツアーに参加(4回目/全16回)

 
 

 本来は先週の大寒波の日がツアー出発日でしたが、一週間延びての久しぶりのお遍路となりました。本年度は申年の閏年。四国八十八箇所では、順序を逆に廻る、「逆打ちまわりのお遍路」がブームとなっています。

 
 

 それは初めてお遍路周りをした衛門三郎の故事に由縁があります。

 
 

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 伊予国河野家の一族で、砥部の運動公園からほど近い、文殊院で豪農である衛門三郎という者の物語です。欲が深く、情け容赦なく農民に接する、この男の前に、みすぼらしい僧が現れ、托鉢を行います。八日目、衛門三郎は、怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。

実はこの僧は弘法大師でした。

 三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡

くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。

 三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。

 翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。

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 衛門三郎は妻と別れの水盃をかわし、白衣に、手には手っ甲、足には脚絆、頭には魔除けの菅笠をかぶり、右の手に金剛杖を持って旅立ちました。・・この出で立ち姿が、お遍路さんの姿となり、巡礼したお寺に紙に自分の住所、氏名、年月日を書き、お札をお堂にはりました。これが、お納札になったそうです。(自分の居場所を弘法大師に伝えるため)

 
 

 衛門三郎は申年の閏年に逆打ちして、弘法大師へ再会できたため、申年の閏年のお遍路は御利益が三倍あると先達さんが申していました。
 
 

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 この衛門三郎の物語を、45番札所の岩屋寺に向かう中で、読み聞かせのように、しんしんと、ガイドさんが語るのですが、お手製の人形を使いながら、童に語りかけるように話されました。時間にして30分、またお遍路の起源にふれて、深く学びたい気持ちになるのが不思議です。名ガイドさんがいらっしゃいますね。

 
 

 さて、2016年のスタートにふさわしい45番札所の山岳修行のお寺岩屋寺から。靴の先に縄を巻きながら、麓の赤の欄干の橋を渡る。直瀬川は雪解け水が溶け合い、清清しく流れて、純白の景色と混じり合い、百年プリントといいながらシャッターを押す。
 
 
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 岩に付着する陽生植物は何というのか?全く一つもわからない、自分の学のなさにあきれながら、膝がガックガクになりながら昇ります。つづら折りの坂に体力を奪われ、湯気汗をかきながら岩屋寺へ。

 
 

 「はー、はー」が止らない。(笑)

 
 

 岩山に抱かれたような本堂は、母体の子宮のような場所にあり、洞窟は生まれ変わるような神聖な場所ともいえそうだ。もう少し体力がついたら、修行場にも挑戦したいと、柄にもなく思った。そう、思わせるのは古刹のような、生まれ変われるような、蘇生の力が漲る場所に感じたからかも知れない。

 
 

 今回は四十五番岩屋寺 四十四番大寶寺 四十三番明石寺 四十二番仏木寺 四十一番龍光寺とお遍路、毎回気づきはたくさんあるものです。

 
 
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 先達さんがお線香の3本は、現在、過去、未来とのことと、お話しされた。場を清めるとかなんとなく思っていたのだけど、さらに一歩深まるだけで、脳にアドレナリンが走った。線香は口で吹いて消してはいけない、亡くなられた方の食事となるのが「線香の香り、」線香の煙が、「あの世」と「この世」の橋渡し、知らなくても困らない知識ではあるが、脳の中で、それらのことが突如飛んで集まるときがある、無駄の中にこそ個性あり。

 
 

 まだ解けぬなぞが、お遍路さんにあります。それは、何故何回もお遍路さんを廻るのか、廻ろうと思うのかという事です?

 
 

 なんでも、たいがい人間は飽きます。

 
 

 最近、福利厚生で食堂を取り入れた企業もありますが、こんなありがたいサービスも2年が立つと飽きるという人が出てきたそうです。昔のテーマパークも同様。

 
 

 一番恐ろしのが、自分が飽きられるということ、「飽きる」は化け物みたいなもんだ。恋も飽きる、夫婦関係も飽きる(爆)、毎回同じメンツの会合も飽きが来る。そんなこのメルマガも、長年続けると当然飽きられるわけで、しかも、FACEBOOKのように両方向でなく、片方向の情報発信。(汗)

 
 

 その点、旅に一緒に出るというのはイイ。新しいことがいろいろある。岩倉具視 欧米使節団が1年10ヶ月世界をみて、殖産興業を興したように、気概がある旅は、刺激に満ちている。なにせ、たくさんの選択肢を見つけられる。

 
 

 お線香三本をあげながら、現在、過去、未来を考えながら、永遠の好奇心・・今年のテーマです。

 
 

 今日はこんなところです。