オフィス前の花水木通りの5月のハナミズキの淡いピンクは、洗濯機に洗われた空をバックにすれば、ふんわりとして心に安らぎという変化をあたえてくれる。桜の花の葉桜の姿より、葉姿のハナミズキが一段と美しいのはなぜなんだろう?そんなことをふと考えた。

出会いと別れの季節をつげる「桜」は、純真無垢に咲き、盛者必衰の儚さを奏でるように、それはそれは見事に舞踏し散りさっていく。その散り様はいかにも日本人の死生観を投影しているようで、この花を見るたびに桜JAPANを連想させてくれる。そして、ハナミズキという日本産リカちゃん人形に対抗して、登場したバービー人形のようなこの花は、アメリカからやってきたらしくファッショナブルであり、街路樹ともなれば、自信に満ちあふれたようなエネルギーでランウェイをつくる。

一年に一度、この二つの花の共演の連続は、安心してみていられる、心の平穏と必然の法則をおしえてくれ、くだらない見栄や欲など捨て去り、あるがままにと語りかけてくれる。

さて、そんな仏教僧のようなことを書き綴りながらも、頭の中は煩悩の塊である。頭の中は「セーヌ川公園で芸術的にキスするカップル」をいつも思いだし、野心的なオスを生きている。セーヌ川のキスより、興奮するモノがないと男はアウトだと言い聞かせながら・・・。

そしてさて、お遍路逆打。バスは、逆打の御利益効果の宣伝が行き届いたように満員でござり、なんとも女性の参加が多いこと。トラベリングバスは23番札所薬王寺へ。「発心の道場」といわれる阿波最後の霊場、お大師様が42歳の厄除のため薬師如来像を刻み、伽藍(がらん)を建立して安置した縁起があり、全国でも有名なお寺らしい。

お遍路ではご本尊様が、薬師如来のお寺が多いんですよね。昔のお医者さんとでもいいましょうか、古来から病気治癒や除病安楽などで巡礼されるかたが、すがるように光をもとめて来られたんでしょうね。なるほど、「おなつかしゅうございます」という境内の空気がしみこんでます。

巡礼をおえて山門で一礼をしているときに、酸素吸入器をつけたご老人を寝台にのせ家族が囲むように祈ってらっしゃる姿に出会った。「人は死んでいくのだ」、かけがいのない人生の一瞬を記憶にとどめなら・・。家族が父を見送ってあるく長い長い慈愛の一本道がそこにみえました。

ところで、ちぃっくと厄払いの薬王寺で思ったのです。生老病死、災難というのは、ひとを立ち往生させ、ため息をつかせ、あまりにも無常であるということ。そして、それを断ち切るために、現世利益をもとめている人が切実に多いこと。報われたいのだ、どうか、この人生の辻褄をあわせてくれと大勢来ているのだ。(^^;)

しかし、お賽銭は15円(5円玉3枚で十分ご縁)なのが、なりませぬ。

パチンコでは投入機に1万円を無心でいれるくせに、浄財のお賽銭箱にはなんと、みみっちい、しみったれた、けちくさい金額しか入れないモノか。なぜ、できないのか?お前はポンコツか(笑)と自分をなじる。

実は、先日、倫理法人会の講演で、会社の会長が 数十万円を地元の神社に「地元の街が平和でありますように」とお賽銭にいれた話をきいた。音がしない、賽銭というのはイイモノだと実感した。そこで早速実行に移した。普通では面白くないと、薬王寺では、お賽銭を巾着袋に満タンにして、水戸泉のようにわしづかみして、丁寧に音をおさえて賽銭箱にながしこんだ。

「世の中が平和になりますように」と・・・通常ではありえないことを祈願した。(笑)そして、家族の人数分の厄払いのお守りを買いもとめた。

家に戻ると、息子が柔道でいつも優勢負けする、宿敵に勝ち優勝したという。高校生活で初めて勝った、しかも1本で。さすが薬王寺の厄払い!即実践、信じるモノは救われる。(笑)

しかし、なりませぬなこともあった。今日は玄関の履き物が乱れまくっていた。

当家では、息子に毎日履き物を揃えることを課している、やっとこれが定着してきた。「家に帰るとね、履き物がそろっているんでめちゃ気分がいい」、と息子をよいしょしながら始まったこの儀式。最初はそろうと500円を払い飼い慣らしていたんですが・・。(^^;) 今日はダメ。「勝って兜の緒を締めよ」と唇のさきまででかかったが、「そのくち閉じよ」と天から声がしてなにも語らず・・・まだまだ未熟やな・・・「太か男になれ」と念じながら、自分で履き物をそろえ、息子の履き物だけをあきらかにわかるように真ん中に置いて(笑)、父は荒野に眠るのでありました。※当家はマンションです。(笑)