おはようございます、クレストデジタルズ渡部です。

 

選挙終了。AKBは世代交代していますが、愛媛は小選挙区は無風。日光猿軍団が世代交代の時期をうまくこなせず高齢化したけれども、なかなか若いものにバトンを譲るという心は動物的には育たないものですね。ロシアの富豪が、ノーベル賞受賞者が経済的な理由でオークションに出したメダルを5億で落札。父親のガンの研究に寄与したからと、メダルを価値ある人物の元に戻したとニュースで流れてました。そんな気骨な人が世の中にはいるんだと、ホッとした週末。

 

さて、ドクターXの大門美知子脚線美は頭がクラクラしますが、今日は旅の話をします。まとまりのない、イントロですみません(笑)

 

さて元旅行マンの回顧録です。

 

「自分探しの旅について」

 

僕は旅行会社で旅行前説明会というのが、とっても好きでした。

 

当時は海外ではスリが多く、トラブルが嫌だったので。シークレットベルトという腹巻きみたいな、便利GOODSを購入しましょうと説明していました。高齢者にこれをオススメするとほとんどの方が買っていただけます。(^^ゞ

 

ところが成田空港で、カウンターでお待ちしていると・・・。なんと、ズボンの上にベルトをしてきた方がいました。(笑)たまにあります・・・こういうこと。つかみは、このぐらいにしましょう。もう脱線しません。(笑)

 

当時は学生が卒業旅行にヨーロッパ28日間行くコースが人気でした。その説明会では、旅で「自分探しをしないで」と兄貴ぶって偉そうに持論を展開していました。「旅が自分探し」になると、まるで帰ってから自慢話や自己アピールみたいになって、時には就職のためのネタや、優越感みたいな・・いらないものを生産しちゃう。新しい自分に出会うかもという根拠の無い期待感はうなずけるんですが、資料集めだけみたいなことはやめようと。

 

もちろん海外旅行を否定するのではありません。旅はココロに最高の青空をつくります。旅の記録もとても大切。記念写真もたのしい。ただ、「自分探し」すると証拠写真みたいな空気感が生まれるのです。そういう人は、写真を撮り過ぎます。(笑)それに満足感を感じる自分はいかがなものかと、あえて問うて旅する。

 

鉄道マニアの人が、トンネルから出てきた超高速の新幹線の写真を撮るときにシャッターは1回しか押さないと言っていました。なんかうなずけます。究極です。

 

今は、なりません。デジカメで鬼のように写真を取るのですが、どうですか莫大な量の写真の塊。そこから放たれる魂の熱量はございません。写真ばかりとっていると、非日常のなかにあるスイッチに気が付かないで終わってしまうのです。

 

旅行で写真をわずかしかとらないほうが、何か見えるものがあるのではないか?そういうチャレンジこそが、心地良い。今の時代・・・莫大な情報が便利さが、気づかせない社会をつくっているともいえそうです。

 

建物がどちらの方向に向かって立っているのか?なぜこの場所なのか?太陽はどちらにあるのか?この色はなんで使われているのか?形はどうだ?庭に植えている植物はなにか?絢爛豪華にはどんな意味が含まれているのか?旅は「?」の塊であるべき。その探求する心が旅の楽しみの一面ではないではないか。受け身でない、自分から「?」をつけていく。その数が多ければ多いほど、地球のロマンを感じて人生が楽しくなってくる。答えのない問いを自問自答する・・。受け身でない旅は面白い。求める心が、旅の究極にある。

 

その「?」はワインの渋みの濃さの判定にも役立ち、旅の彼の地でナイトサイエンスを加速させ、「おもしろ星人」の種をつくってくれるはず。
25年前の年末、エジブトのナイル川のほとりのホテルで年を越しました。いやちょっと違う。ナイル川のそばで年越ししてみたかったので、企画して人を集めて行ってみた。

 

当時アスワンにどんなホテルがあるか、手元にあるのはホテル名が書いてある本だけ。そこでエジプト観光局にでかけて調べた。アガサクリスティがナイル殺人事件を書いた、オールドカタラクトホテルはどうかとスタッフに薦めてもらって決めた。

 

ナイル殺人事件は高校生の時彼女と観た映画で、鮮やかに記憶に残っていたのです。

 

あの映画がなければ、あのホテルに泊まった興奮はなかった。なんか、過去との接点がつながった時に人はGOサインを出す。

 

トリコロールのロビーが芸術的だった。何ともいえない部屋のグリーンの壁が落ち着く壁、バルコニーから見えるナイル川に帆掛け舟がみえる。こんな砂漠のド真ん中に、こうこうと何千万年流れるナイルの豊富な水量とせせらぎ。砂漠のオアシスに陣取りながら、アガサ・クリスティは、ここで泉のようにアイデアを出しミステリーの巨匠への階段をあがった。

夜はエジプトの人の着るガラビーという服を身にまとい、オリーブの漬物をあてに、ナイルの川のほとりであえて一人になってみる。旅は孤独を感じないとギャップ感が生まれない。あのバーで飲んだ、ドライマティーニの一杯が五臓六腑に今もしみている。

 

もし、こんな素敵な空間をFACEBOOKに投稿したら、いいねがいくつカウントされるだろう。(笑)でも、それはなりませぬ。一人だけで楽しむ、家族もしらない「ひとり」を無理にでも愛したい。

 

思えば100回以上、海外旅行に行った。その中で写真として残っているのは。新人時代に行ったN・Yのバッテリーパークで自由の女神の前でとった写真。それと愛媛大学の学生のたまり場の「紙ふうせん」という喫茶店で100名以上の学生が読んだであろう「三国志」の漫画から、その地を訪ねたいと熱望し訪ねた洛陽の都で、バスでマイクをにぎる添乗員の笑顔の写真。その2枚の写真こそが、旅の宝物。

 

三国志という漫画が旅にでさせた、あえて写真は撮らずに帰った。ちょっと勿体無かったけど、おかげで想像力と探究心だけはキープしてくれているみたい(笑)これがなかったら、歴史をこんなに好きにはならなかっただろう。
はたして・・・何枚の絵葉書を、旅路からだしたであろう。

 

実家でコルク板に、その僕の絵葉書を母ちゃんが全部はっている。

 

その場所が「自分探し」の拠点のような気がしている。

 

自分が記録するより、人が記録しているものになぜだか、心は寄り添う。
いつも思う、「旅は心の青空」だと・・。
今日はこんなところです。

 

 

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渡部雅泰クレストデジタルズ株式会社 CEO
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