某紳士服のメーカーの講師の先生の講話。「人は見た目が9割」ですというオープニングトークは強烈にインコースをえぐり込んだ。だいたい50も過ぎると、毎日鏡を見るのもおっくうで、オレなどは全身が映り込んだ鏡をみたら、頭の中にあのイタリアのナポリ民謡”ナンタルチーア、ナンタルチーア”がいつも流れてくる。(笑)
 
 
朝顔を洗うときに、洗面台を見てもメガネをかけずに近視でぼけているのがちょうどいい。「劣等感は人を育てる」などと、昨日読んだ五木寛之さんのフレーズが頭をよぎるが、なぐさめ程度に湿る程度・・・。
 
 
「人は見た目が9割」、誰でも幼少時代に、だいたいがクラスの悪ガキにとんでもないあだ名をつけられる。テレビ番組が影響していた。妖怪人間ベムというアニメで場人物のベム、ベラ、ベロとか、映画の影響でゾンビとか、プロレスの影響でブッチャーとか。受け取る方は「化け物」といわれているのだから・・残酷の極みの心境になる。特に名付けられ女子は、立ち上がれないほど追い込まれ、心ない言葉に、行き場のない怒りを積もらせていく。オレも王選手がすきでファーストミットを買ってもらって、一本足打法を真似てたので「ワンちゃん」と呼ばれていたことがあったけど、いじめっこ番長がつけたあだ名は「ボロ犬」だった、まあ、呼ぶのはそいつだけど、気分は最悪だった。
 
 
実は「人は見た目が9割」というのは、本のタイトルで、なんと100万部を越えるベストセラーになった。中身は醜男・醜女の変身方法というのでなく、漫画の事ばかり書いている本で、多少は心理学にふれているけれど、それは予定調和、織り込み済みの世界でしかない。果たして、今日メルマガをみていただいている方も、タイトルに巻き込まれた人もいたかな(笑)
 
 
いかに「本のタイトル」が大事だと言うこともいえる話だけど、「人は見た目を気にしている人が9割」はいるのでしょう・・。年をとると、「若く見られたい」に関連する商品は体力の限界をしらず、心に鬱積した美醜の魂は、餌に食らいついてしまう。
 
 
ネットの世界では自分のアバターに、毎日のお食事などを発信させたり、小さな幸せを化粧させてみせることで、ささやかな見栄?を満たしてくれている。これが、悪いことでは決してない。世界のネットの書込みの内70%が日本語であり、日本人(世界の人口の2%)は、もういちいち他人に気にしていては生きられない。
 
 
江戸時代の読み書き教育というのは日本に今、力を与えている。流行はネットからうまれチャンスにあふれている。動画でインディズからヒットが産まれる。現実も、ネット世界も境目がわからないほどの勢いで、面倒がみきれない。(笑)オレたちオスは、やがてネットの世界で輝く、メスに食べられてしまうだろう・・。
 
 
ネットSNS世界というのは、刺激面では、創造を絶するほど(笑)のつまらなさで、日本の象徴のようになってきたけど、日本人というのは一定の規律という足枷をはめられ、期限を決められ、そのプレッシャーの中で才能を発揮する生き物であるようで、バカにできない。とくにメスという生物は才能を散らかす。
 
 
例えれば、それはクイックルワイパーだ。持ち手のところが伸びて、先端が曲がり(笑)、なんという発明であろうか。切って使えるスポンジは洗剤いらずで蛇口をぴかぴかにし、初恋ダイエットスリッパで料理をして、この間100均で買った「固いものを切るハサミ」はクレジットカードなどをバサッと切り刻む。菓子袋をもう一回閉じるハンディシーラーは乾電池2個を入れれば、見事に熱で袋を閉じてくれた。これらの力の源はメスにあり、こじつければ「人は見た目が9割」から来ていると言えないでもない。
 
 
面白いことに、某紳士服のメーカーの講師の先生は「人は見た目が9割」「見た目を気にする一番の職業は詐欺師です」と語った。「なるほど、言い得ている」
 
 
詐欺師というのは、巧妙なストーリーを描く。見かけは善人。社交的で、人当たりもいいし、物腰もしなやか。頭の回転が高速・・あーおれも詐欺師の一味。(笑)あなたも?(笑)
 
 
いや、詐欺師という言葉は毒性が強すぎる。「心理トリックに優れた人」とでもいいかえよう。いい表現かも知れない。(^^;)
 
 
今日もエンディングはうまくまとまらない。
 
 
週末に「親鸞」五木寛之を読んだ。お遍路をまわるこの1年は、いろいろと宗教の本を読んでみようかなと・・・。宗教はうさんくささをはらんでいるのが、興味深い。
 
 
お釈迦様は死んだらどうなるかということについて語っていない。無記というそうだ・・・。
 
 
「今あなたの身体に矢が突き刺さって血が流れているのに、この矢がどこから飛んできて、いかなる理由によって発射なんか、と、論議している暇はない」